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名古屋オルガンの秋 organaki.exblog.jp

2007年より始まった「名古屋オルガンの秋」のサイトです。


by principal8
フェリックス・メンデルスゾーン  Felix Mendelssohn Bartholdy (1809-1847)
オラトリオ「パウルス」より
Th. マイヤー=フィービッヒによるオルガン・ソロ用編曲(日本初演)
I.序曲
II.エルサレムよ!
III.彼はエルサレムで迫害していたのではなかったか?
IV.わたし達にお恵みを
V.フィナーレ

トーマス・マイヤー=フィービッヒ Thomas Meyer-Fiebig (1949*)
オルガンとビブラフォンの為の作品「はじめにみことばがあった」
(神言会来日100周年記念委託作品・初演)
I.初めにみ言葉があった
み言葉は神と共にあった
II.み言葉の内に命があった
この命は人間の光であった
III.この世はみ言葉によってできたが
この世はみ言葉を認めなかった
IV.み言葉は人間となり
我々の間に住むようになった
V.我々はこの方の栄光を見た
父のもとから来た独り子としての栄光である
VI.恵みと真理とは
イエズス・キリストを通してもたらされた
VII.父のふところにいる独り子である神
この方が神を啓示したのである
ヨハネによる福音書 序 (1-18節より)
—フランシスコ会聖書研究所訳—


オルガン 吉田文
ヴィブラフォン 石田まり子
聖書朗読 岩田美恵
# by principal8 | 2008-06-08 18:31 | 2007・名古屋オルガンの秋
シャルル=マリー・ヴィドール Charles-Marie Widor (1844-1937)
トッカータ(第五オルガン交響曲より)

ニコラウス・ブルーンス Nikolaus Bruhns (1665-1697)
トッカータ ホ短調

ヨハン・セバスティアン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)
トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
小フーガ ト短調 BWV578

G線上のアリア(ジクフリッド・カルグ=エラート編曲)
カンタータ147番より「主よ人の望みの喜びよ」
(モーリス・デゥルフレ編曲)

レオン・ボエルマン (1862-1897) Leon Boelllmann (1862-1897)
聖母への祈り(ゴシック組曲より)

デスツォ・アンタルフィー=ツィロシュ Antalffy-Zsiross Deszö (1885-1945)
黒人霊歌によるスケッチ 

オルガン 吉田文
# by principal8 | 2008-06-08 18:29 | 2007・名古屋オルガンの秋
ヨハン・セバスティアン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)
幻想曲 ト長調 BWV 572
Pièce d’Orgue in G, BWV 572

エルンスト・ペッピング Ernst Pepping (1901-1981)
「オルガンの為の賛歌」より「おお輝かしき光三位一体」
aus „Hymnen für Orgel“ O lux beata Trinitas

ヨハン・セバスティアン・バッハ
聖歌「愛する神のみに従う者」による3つのコラール前奏曲 
BWV 691, BWV 692, BWV 642
Drei Choralbearbeitungen „Wer nur den lieben Gott lässt walten“

マティアス・ケルン Matthias Kern (1928*)
オルガンの為のリトネル
Ritonell für Orgel

I 門は開いている、それ以上に心も開いている。
Porta patet, cor magis
II 見よ、神の幕屋が人の間にある。
Siehe da, die Hütte Gottes bei den Menschen
III 彼があけぼのの星である。
Er ist der Morgensterne
IV 霊は天に住まいがある。
Der Geist selbst aber hat seine Wohnung im Himmel
V 信仰は神への強い希望。
Der Glaube ist eine starke Hoffnung zu Gott
VI 神はわたしたちを祝福される。
Deus benedicat nobis

マティアス・ヴェックマン Matthias Weckman (1621-1674)
第二旋法によるマグニフィカート
Magnificat II. Toni

第一節Primus versus、第二節Secundus versus、第三節Tertius versus、第四節Quartus versus

ヨハン・セバスティアン・バッハ
天にまします我らの父よ BWV 762
Vater unser im Himmelreich BWV 762

カール・ザットラー Carl Sattler (1874-1938)
「めでたし、女王、憐れみの母」による幻想曲とフーガ op.5
Fantasie und Fuge über „Salve Regina“ op. 5

オルガン トーマス・マイヤー=フィービッヒ (国立音楽大学作曲科教授)

プログラムノート
名古屋オルガンの秋、2回めのコンサート 「Orgelversper・オルガンによる夕の祈り」では、オルガン音楽が育った本来の場、教会の典礼・礼拝で使われる祈りの音楽を中心としてプログラムが組まれました。

カトリックの教会では、イエス・キリストの最後の晩餐を記念しておこなう「ミサ」の他にも、一日の各時間を、祈りをささげることで聖化することが目的の、聖務日課(時課の祈り)という典礼の形があります。
その中でも特に、ラウデス(Laudes)と呼ばれる太陽が昇るころの朝の祈りと、ヴェスパー(Vesper)と呼ばれる日没時の夕の祈りが重要な祈りの時とされており、これらに加えていくつかの決まった形の祈りが一日の中の決まった時間におこなわれます。
Vesperは晩課とも呼ばれ、ベネディクト会の方法では次のような構成から成り立っています。
祈りの始めの招詞 ― 賛歌 ― 詩編唱(3つから5つの異なった詩編) ― 朗読と短い答唱 ― マグニフィカート(マリアの賛歌) ― 共同祈願、主の祈り、結びの祈願 ― 派遣の祝福
これらの各部分は、本来ならば全て言葉で祈られ、又は歌われるものですが、このコンサートでは、オルガンが楽曲を通して全ての祈りの部分を演奏します。

最初の曲、バッハ作の幻想曲はこの祈りの時への招きの曲として奏でられます。

その後、「おお輝かしき光三位一体」という、三位一体のお祝いの日に歌われるグレゴリオ聖歌の賛歌を基として作られた作品が弾かれます。

「愛する神のみに従う者 (Wer nur den lieben Gott lässt walten)」という聖歌はドイツ語聖歌のなかでも最も美しく、又好んで歌われるもののひとつですが、その内容は詩編55番の23節、「あなたの重荷を主にゆだねよ/主はあなたを支えてくださる。」に因っていると考えられていますので、本日は、異なった詩編を幾つか唱える代わりに、この聖歌についてバッハが作った前奏曲を3曲集めてみました。

詩編唱の後、聖務日課では短い聖書の句が朗読されます。ドイツの作曲家、マティアス・ケルンは「オルガンの為のリトネル」という題で、信仰のすがたを6つの異なった副題の小品で表しました。これらの副題は、聖書(II, V)、聖歌(III)、ルターと同時代の神学者コルヴィニウスの墓碑(IV)から引用されたドイツ語の聖句についての小品が、ラテン語の聖句をモットーとした小品(I, VI)に挟まれています。
モダンな作品で、少し耳慣れない音楽かも知れませんが、是非、これらの「ことば」を音楽の中に感じてください。

「マグニフィカート」とは、イエスを懐胎した事が判った聖母マリアが、洗礼者ヨハネを懐胎していたエリザベトを訪問した際に、
「あなたは女の中で祝福されています。胎内のお子さまも祝福されています。」と言ったエリザベトに対して
「わたしは神をあがめ、わたしの心は神の救いに喜びおどる。
神は卑しいはしためをかえりみられ、いつの代の人もわたしを幸せな者と呼ぶ。
神はわたしに偉大なわざを行われた その名はとうとく
あわれみは代々神をおそれ敬う人のうえに。
神はその力を現わし、思いあがる者を打ち砕き、
権力をふるう者をその座からおろし、見捨てられた人を高められる。
餓えに苦しむ人はよいもので満たされ、おごり暮す者はむなしくなって帰る。
神はいつくしみを忘れることなく、しもベイスラエルを助けられた
わたしたちの祖先アブラハムとその子孫に約束されたように」
との言葉で答えたもので、ラテン語でこの句が「Magnificat anima mea Dominum」と始まることから、「マグニフィカート」と呼ばれます。
夕の祈りの中でも一番重要な祈りとされる聖句(ルカによる福音書 1.47-55)でもあり、多くの教会音楽家・作曲家がこの典礼の部分のために作品を残しています。
声楽曲としてはバッハのそれのように、この聖句に新しく旋律をつけた楽曲の形式にすることが多いのですが、オルガン曲の場合、「わたしは神をあがめ...」と歌うグレゴリオ聖歌に対して「神は卑しいはしためをかえりみられ...」の節がオルガンで演奏されるように、聖歌とオルガンとが交互に演奏をすることを想定して作られた短い節形式の楽曲が普通です。

その後、イエスが教えた祈りとしてキリスト教を信仰する者にとっては最も大事な「主の祈り」と言われる祈りが唱えられます。マルティン・ルターは「主の祈り」の句を基に、その内容を節のついた聖歌にし、バッハはその聖歌を曲の中に織り込んだコラール編曲 (Choralbearbeitung)を作りました。

本来ならば、「夕の祈り・晩課」の後、就寝前に祈られる「終課(Complet)」の終わりに「マリアの交唱」と呼ばれる聖歌が歌われます。Alma Redemptoris Mater, Ave Regina coelorum, Regina coeli, Salve Reginaの聖歌が時節に応じて歌われるものですが、今晩のコンサートは、この「Salve Regina」をテーマとして作られた作品で終わります。
(吉田文 記)
# by principal8 | 2008-06-08 18:26 | 2007・名古屋オルガンの秋
ジャン・アラン Jehan Alain (1911-1940)
連祷(Litanies・リタニー)

ジャン・ラングレィ Jean Langlais (1907-1991)
ダブル・ファンタジー

フェリックス・メンデルスゾーン Felix Mendelssohn Bartholdy (1809-1847)
アダージョ ニ長調

ヨハン・セバスティアン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)
トッカータとフーガ ニ短調 BWV565

溝上日出夫 (1936-2002)
・「雲中供養菩薩」楽
・舞楽「雲中供養菩薩」(日本初演)

グスタフ・アドルフ・メルケル Gustav Adolf Merkel (1827-1885)
オルガン連弾の為のソナタ ニ短調 op.30
I. Allegro Moderato
II. Adagio
III. Allegro con fuoco - Fuga

オルガン 吉田徳子 吉田文

プログラムノート
名古屋オルガンの秋、初回のコンサート 「伝えられたもの、伝えたいもの」では、今までにカトリック五反城教会で名古屋オルガン友の会が主催をしたコンサートを通して私たちに伝えられたオルガン音楽を想い起こすと同時に又、これから私たちが伝えていきたいオルガン音楽もご紹介したいと思います。

個人的な思いとなりますが、名古屋オルガン友の会が解散される際、最後の事業として2002年1月6日に私が愛知県芸術劇場で演奏しました「ニュー・イヤー・チャリティーコンサート」の後援をしていただきました。
私は子供の頃から、度々母に連れられて五反城教会のオルガンのコンサートを聴きにいっておりましたが、その中でも特に印象深かったものが、マリー・クレール・アランが彼女の兄の作品である「連祷」を演奏したコンサートでした。この曲が弾きたかった事も、私がオルガニストになろうとした要因のひとつかも知れません。
そのような懐古、そして感謝の思いを込めて、当時この曲を「名古屋オルガン友の会」の最後の締めくくりの曲として選び、オルガン友の会に捧げ、演奏しました。
今回新しく「名古屋オルガンの秋」を始めるにあたって、今まで到着地点であったこの「連祷」を次の出発点としていきたい、との思いから、この曲を初回コンサートの最初の曲として選曲しました。

ジャン・ラングレィはアランと同世代の、盲目のオルガニストでした。デュプレの弟子としてアランとも同門下であり、その自由で個性的な音楽の言葉はアランのそれとも類似したものがあります。この、「ダブル・ファンタジー」も「連祷」と同じく2002年のチャリティーコンサート内でオルガン友の会を記念すべく、母と連弾したものです。

メンデルスゾーンの作品、そして言うまでもなくバッハのトッカータとフーガニ短調は、どちらも大変好まれて、この楽器で演奏されていたものです。
メンデルスゾーンのアダージョでは、優しいフルートの響きを、バッハの作品ではオルガンの典型的な響きとも言えるプリンツィパルの響きを、10月に3週間かけてペーター社の2人のマイスターの手で再整音され、完成当時の響きにほぼ近いと考えられる状態となったこの楽器で堪能いただきたく思います。

日本人の作曲家、溝上日出夫は、1980年代に「雲中供養菩薩」をテーマとしたものを2曲作曲しました。これらは彼の唯一のオリジナルのオルガン作品です。「雲中供養菩薩」とは、平等院の本堂の大日如来の周囲の壁に飾られている木彫りの菩薩群で、いずれもが雲に乗り、静かな合掌、持ち物を捧げ持つ、楽器を手にして奏でる、立って舞うなどの阿弥陀浄土の諸菩薩(聖衆)の様々な姿を現しているものです。西洋の宗教的なイメージが強いパイプオルガンの為に、敢えて日本人の宗教心を表す「菩薩」をテーマとして取り組んだこの作品を、私たちは、これから日本人として伝えて行きたいオルガン音楽として、まず、ご紹介したく思いました。

1992年には名古屋オルガン友の会が「名古屋オルガンの秋 ’92」と題したコンサートシリーズを主催しました。この4つめのコンサートで、母と私は当時は珍しかった連弾コンサートを演奏しましたが、その時に最後の曲として選んだ曲が、メルケルの二人のオルガニストの為のソナタでした。この作品は1857年に募集されたオルガン連弾の曲を対象とした作曲コンクールで一等賞を得たものです。メルケルは後にドレスデンの聖十字架教会のオルガニストとして従事しました。
このソナタには一楽章ずつ標題が掲げられています。

I. Allegro moderato (標題:詩編42, 6,7,8,10)
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう 「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。
ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から
あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて 深淵は深淵に呼ばわり 
砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。
わたしの岩、わたしの神に言おう。「なぜ、わたしをお忘れになったのか。
なぜ、わたしは敵に虐げられ 嘆きつつ歩くのか。」
II. Adagio (標題:詩編23, 1-4)
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
III. Allegro con fuoco – Fuga (標題:詩編42, 12)
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ。
(新共同訳より)    

(吉田文 記)
# by principal8 | 2008-06-08 18:22 | 2007・名古屋オルガンの秋
(2007年度初回「名古屋オルガンの秋」チラシよりの抜粋です。)

この度、五反城教会オルガン修復の完成を記念して、第一回「名古屋オルガンの秋」を開催する運びとなりました。

カトリック五反城教会は神言修道会(神言会)が創立した教会です。代々、神言会の司祭が主任司祭として司牧にあたり、パイプオルガンと音楽を通して神の「み言葉」を伝え続けたヨゼフ・トナイク師も神言会の司祭でした。

南山学園の母体でもある神言会は今年、来日100周年を祝います。今回の「名古屋オルガンの秋」はこれも記念として開催されます。

名古屋オルガンの秋実行委員会では、このコンサートシリーズを期に今後とも名古屋に多面的なパイプオルガンの楽しさ、素晴らしさを継続的に伝えていけるように活動をしたく思っております。

来回には国内外からのアーチストの招聘、又、名古屋周辺各地のパイプオルガンを使用してのコンサート、子供・若者を対象としたレクチャーコンサートやオルガンアンサンブルのコンサートをも計画しています。

なるべく多くの方にパイプオルガンという楽器の魅力に触れて頂きたいという方針から、基本的に入場は無料としましたが、今後の継続的な活動が可能となるよう皆様のご寄金のご協力を心よりお願いいたします。
# by principal8 | 2008-06-08 18:14 | 名古屋オルガンの秋について